2012年6月8日金曜日

銀河英雄伝説の…

銀河英雄伝説の…

ラインハルトは敵であっても、よい人材と見れば見方にしようとする所がありましたが、逆にそれを狙って取り入ろうとした者は厳しく処罰していました。(ビュコックが戦死し、ハイネセンを占領される直前に同盟軍政府代表を殺害した同盟軍人など…)自分としては、最後まで忠誠をつくし、敗北したがそのままにするには惜しい人材は引き入れる。自分の主君を裏切ってまで取り入ろうとする者は処罰する。と解釈しているのですが、オーベルシュタインを部下にした際の例もあるのでいまいち納得ができないのです…;そのようなラインハルトの行動をみなさんはどう解釈されていますか?また、自己防衛のための裏切りであってもやはり処罰されるべきだと思いますか…?







これは私の個人的見解ですので、反発する方もおられるとは思いますが。



オーベルシュタインを幕僚に加える決断をした時点では、ラインハルトよりオーベルシュタインの方が、年長であることを加味しても、人間が上です。

オーベルシュタインが潰走する自艦隊から逃げ出して帝都に帰還したのは、命惜しさのためではありません。

いや、広い意味では命惜しさなんですが、大義のために無駄死にしないという決意からです。

その大義とは、腐敗した貴族に平民が過剰に搾取される当時の銀河帝国に復讐する、というものです。

現政権を内部から破壊するという点で、オーベルシュタインとラインハルトは一致していたわけですが、双方ともそれが明るみになれば、あらゆる手段によって粛正される状況にあったのです。

その状況下で、オーベルシュタインは、ラインハルトが大義を成す目的の保身のために自分を告発するかもしれない、というのに、自らの存念を明かして取り立ててくれるよう願い出たのです。

これは、一つの賭けであり、勇気ではないでしょうか。(もちろん、受け入れられなかった時のためにラインハルトを陥れる工作をした上での事でしょうが)

ラインハルトはオーベルシュタインとのこの会談の結果、少年らしい潔癖さから脱皮し、覇道に必要な卑怯悪辣さをオーベルシュタインに学び委ねる事になります。

この席からキルヒアイスを外したのも、キルヒアイスにラインハルト自身の良心を預け守らせるつもりだったのではないでしょうか。



つまり、敵方であっても有能にして忠節を知る人物を自らの陣営で使おうという考え方は、オーベルシュタインから学んだものと言えるのではないかと考えます。

事実、オーベルシュタインは陰湿権謀の人ではありましたが、ラインハルトに対する忠節はおそらく双璧にひけをとりません。

「ヴェスターラントの惨劇」についてラインハルトが民衆の前で非難を受けた時、自責の念からの葛藤で一時混乱したラインハルトをかばって、その責任はオーベルシュタイン自身にあるとラインハルトを守っています。

ヤン艦隊がエル・ファシル自治政府を援護した「回廊の戦い」の終結時において、高級幕僚を人質交換に出してヤンをおびき出しその幕僚が報復のために殺されてもかまわないからヤンを暗殺すべし、という「死間の策」を示した時も、その交換幕僚には自分がなると申し出ています。(もっともロイエンタールに「オーベルシュタインが行ったら『死間の策』だとバレバレだし、それが分かってての発言のくせに」とまでこき下ろされていますが)

物語の終幕では、地球教徒に仮皇宮を襲撃させるよう誘導して一気に壊滅させる作戦では、自ら立案し、襲撃犯に殺害されましたが、これは自らを囮にして襲撃犯をひきつけたという説があります。死に際の言葉からも、この作戦での自らの死を予想、あるいは期待していたように思えます。私には、ラインハルトが助からないと判断しての殉死と思えてなりません。



ラインハルトは「忠誠を捧げるには、ふさわしいもの(者?物?)を選ぶべきだ」という主旨の発言をしています。

そして、忠誠とは犠牲を伴うものであり、対価を求めるものです。

自らの命を失うのを恐れるなら、他人の命を奪う働きを捧げるべきではありません。

軍人であれば、自分の生命を惜しんで裏切るのは忠節がないと言えるでしょう。

まして、自己の栄達を失うのを恐れるのは論外です。

忠誠の捧げる先を変えるのは、大義を優先して自己の生命さえ捧げるという意思、それを具体的に示す行動がなければ、それは忠節のない信用できない不義の行為でしかないと思います。








田中先生はその対価を、「キルヒアイス」を失うと云う描き方で表現されてます。

もし「彼」が生きてたなら・・。この「if」、作品の最後まで影響することになります。







田中さんは曹操を参考というかモデルにしたのかな~って思います。

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